日本人の弱点?
今回は私の、いや日本人の弱点とも言われる発音について書いてみようと思います。
私がワーキングホリデーでカナダに滞在していた際に、数ヶ月ほど語学学校に通っていました。そのレッスンの中には発音練習の時間もあったんです。このクラスには日本人、韓国人、台湾人、ベネズエラ人、サウジアラビア人が参加しており、それぞれ苦手な発音があったのを覚えています。
日本人の苦手といえばやはり、「L」そして「R」の発音ではないでしょうか?もちろん発音だけでなく、聞取りに関してもとても混乱する部分がありますよね。
この混乱の理由を上げるのであれば、やはり日本語のカタカナ読みにしたときに、「L」、「R」共に「ラ行」になってしまうことだと思います。
ある日本人学生は「blue」の発音が出来ず、一週間必死に言い続けてようやく言えるようになりました。舌の動き自体が日本語を話す際に使わない動きであるため、なかなか簡単にはいかないはずです。また「really」 という単語の発音にもほとんどの日本語学生が大苦戦でした。
以前ENGLISH NOW!で指導していた講師のJohnは、「ラ行」から始まる日本人の名前は「L」の発音に聞こえると言っていました。日本語の名前の場合、「ラ行」に関してはほぼ「R」のつづりなのですが、日本人は無意識に頭文字を「L」と発音していたんですね。どういった状況で「L」と「R」を使い分けているか、自分たちでもよく分かっていない状態なのだと思います。
話は戻り、「R」から始まる「really」という単語は、よく理解出来てない状態では上手くいくはずがありません。
永遠のテーマのような「L」と「R」問題ですが、これを解消するにはどうしたら良いのかと...。考えた私はネイティブスピーカーが発話する口元を見て、同じ動きを実際にやってみるといった練習をしていました。常にネイティブスピーカーが目の前にいるわけではありませんので、海外ドラマやや洋楽のミュージックビデオなどで練習していましたね。私も昔に比べると、発音出来るようになってから聞取りも身に付いてきたように感じます。さらには発音だけでなくスピードもついてくるので、機会があれば皆様も是非ともやってみて下さい!
そしてやはり発音に関して言えば、Kids クラスで取り入れているフォニックス学習はとても素晴らしいですね!フォニックス学習において「L」と「R」の発音は全く別ものですので、しっかり学んでいればこの問題もそんなに難しいものではないはずです。特に当校のレッスンでフォニックスを学んでいるお子様たちは、本当に癖の無い奇麗な発音をするなあと日々感心しています。
皆様も是非ともフォニックス学習や、様々な勉強法を取り入れて、是非とも「L」と「R」問題を克服してみて下さい!
Octopuses? Octopi? Octopodes?
The answer is complicated. Japanese makes it easy by just using the word tako for this eight-legged creature, regardless of how many there are. But in English, the plural of “octopus” can be a topic of heated discussion.
A few native speakers insist that the plural of “octopus” is “octopi,” as in “The fisherman caught five octopi this morning.”
However, this is—to be blunt—wrong. The idea behind “octopi” is that it is the plural of a loan word from Latin that ends in “~us.” For example, a graduate from a particular institution is called an “alumnus,” but more than one from the same institution are called “alumni.” George W. Bush and Barack Obama are both alumni of Harvard University.
The problem with this reasoning is that octopus is not a loan word from Latin, but from Greek. Okto means eight, and pous means foot. In Greek, the plural would be “octopodes”. But we’re not speaking Greek and, in English, one would get some pretty strange looks if they said “octopodes.” Only the most linguistically obsessed would even consider saying “octopodes.” Most normal people use the perfectly logical, English plural “octopuses.”
My intention is not to confuse you with nitpicking details. My point is that, when it comes to languages, we should not be so worried about what is “right.” You see, languages don’t follow rules in the same way as many other fields of study.
In the hard sciences, what people think is “right” and what actually is “right” may be quite different. At one time, everyone thought the sun revolved around the earth, but that didn’t make it true. Most people think of Napoleon as being short, but he was actually 170 cm tall. Believe it or not, bats aren’t actually blind. If someone is wrong about facts like these, you can correct them with the scientific evidence and you will be “right.”
Language is different. It’s in a constant state of evolution driven by the users. If the great majority of speakers begin to do something, it becomes true—even though it wasn’t before. At some point in the U.S., almost everyone decided that “octopuses” was the plural form of “octopus.” A few on the sidelines may still be screaming, “No! You can’t do that! It doesn’t make etymological sense!” but it doesn’t change what has become accepted as the norm in the language.
Similarly, grammarians always say that we shouldn’t put prepositions at the ends of sentences. But everyone does it anyway. As a result, we say, “Where are you from?” instead of “From where do you come?” because the latter sounds clunky and unnatural. “Where are you from?” may break rules, but it is indisputably 100% pure, modern English.
This is true in every language. My Japanese textbook in college said we could only use zen zen in negative sentences, and I absorbed that thoroughly. When I actually came to Japan and heard people saying zen zen daijôbu, I thought they were mistaken. But actually, that phrase is now completely accepted and has become common. Who am I to say it is wrong? It’s not; it’s zen zen daijôbu.
Getting caught up in what the “rules” are often gets in the way of using appropriate language. I am often asked if a particular phrase is “correct.” Sometimes, it may be grammatically correct, but it’s unnatural. I have to say, “Well, it’s not breaking any rules, but it’s not how a native speaker would say it.” Language learners—and native speakers, too—should worry less about what is “right,” and try to focus on what is natural.
Some students focus on grammar textbooks and knowing every single rule for every situation. This obsession can lead us astray and into a state of mind where we doubt what has become accepted as normal. Taken to the extreme, one could probably find something “wrong” with just about everything everyone says. But what would be the point?
Language is a tool for communication; it’s not a mathematical equation. Focus on how people actually talk to each other, on how they express themselves and exchange information.
At present, most say “octopuses.” But let’s not be ungracious to the hold-outs who still insist on “octopi.”
Jennifer Fred
"Octopus"の複数形?
あなたは今、レストランでタコを食べています。でもまだお腹が空いていて、タコをもう一つオーダーするとします。さて、ここに旺盛な食欲以外に問題がありますね。"octopus(タコ)"の複数形とはどんなものでしょうか?
実はこの問いの答えは非常に複雑です。日本語は簡単ですよね。どれだけの数がいるかを問わず、あの八本足の生物をただ「タコ」と呼んでしまえば良いのですから。しかし英語の場合、"octopus"の複数形は激しい議論の種にすらなってしまうのです。
一部のネイティブスピーカーは"The fisherman caught five octopi this morning"といったように、"octopus"の複数形は"octopi"であると主張します。
しかしながら、はっきり言えばこれは間違いです。この"octopi"の背景には、"~us"という語尾を取るラテン語由来の外来語があります。例えば特定の機関を卒業した誰か一人を指す時、"alumnus"という言葉が使われますが、これが二人以上になると、呼ばれ方は"alumni"に変わります。ジョージ・W・ブッシュとバラク・オバマはハーバード大学の"alumni"というわけですね。
この推論の問題は、"octopus"という言葉の元がラテン語ではなく、ギリシャ語であるという点にあります。"Okto"は数字の八を、"pous"は足を意味し、ギリシャ語でタコの複数形は"octopodes"となります。しかし今話題にしているのはギリシャ語ではなく英語であるわけで、英語として"octopodes"という表現を使うのはとても違和感があります。言語学にただならぬ執着がある人なら"octopodes"を使いたがるのかもしれません。ですが、大抵の英語のネイティブスピーカーは、一番妥当な"octopuses"を"octopus"の複数形として使用しているのが現実です。
私は何も、こんな些細なことで皆さんを混乱させたいわけではありません。ただ、言語がテーマになる場合、何が「正しい」かにこだわり過ぎなくても良いのだと皆さんにお伝えしたいのです。ご存知の通り、他の多くの学問と違って、言葉というのは明確なルールに則ってはいないのですから。
科学や物理学、生物学や天文学といった分野では、人々が「正しい」と考えていることと、実際に「正しい」ことに、大きな隔たりがあることもあります。かつて、人間は太陽が地球の周りを回っていると考えていましたが、これは真実ではありませんでした。ナポレオンが小柄だったと考えている人も多くいますね。でも実際には170cm程の身長だったそうですよ。まさかと思うかもしれませんが、コウモリは盲目ではないのだとか。もしこうしたことを誰かが誤解していたとして、科学的根拠を元に訂正をすれば、あなたは「正しい」ことになるでしょう。
言語はそうはいきません。言葉はそれを使う人達により、絶えずその形を変えていきます。大多数の話し手がある言葉を使い始めれば、それが真実となるのが言語の分野なのです。たとえ、過去にはその使い方が間違いとされていたとしても。アメリカではある時点で、皆が"octopus"の複数形を"octopuses"と認識しました。一部の人は「そんな言い方はできない!語源的に意味を成さない!」とまだ叫び声をあげているようですが。しかし言葉の流れの中で一つの標準となってしまった以上、この"octopuses"が変化することはないでしょう。
同様に、文法学者は文末に前置詞を使用することはできないと主張します。しかし結局は、皆そんなことは気にしていません。結果、不格好で不自然だという理由から、"From where do you come?"ではなく"Where are you from?"を誰もが使っているのです。"Where are you from?"はルール違反な表現かもしれません。しかしこれは100%混じりけなく、現代英語として通用するのです。
どんな言語でもそうです。大学時代に使っていた日本語のテキストには「全然」は否定文でのみ使用できると書いてあり、私はそれをすっかり信じていました。ですので、実際に日本に来て「全然大丈夫」と言っているのを聞いた時、その人達は間違っているのだと思いました。でも実際にその表現は世間に受け入れられ、日常的に使われているのです。それは間違いだ、と誰に向かって言えるでしょう?「全然大丈夫」という表現は全然大丈夫じゃないだなんて。
「ルール」に捕われてしまうことは、その場に応じた言葉を使う妨げにもなりかねません。生徒さんなどからはよく、特定のフレーズが「正しい」かを尋ねられます。時にその表現が文法的には正しくても、不自然に聞こえることがあります。そんな場合、私は「そうですね、間違っているわけではないけれど、ネイティブはそういう言い方はしません」と答える他ありません。言葉を学ぶ人、そしてネイティブスピーカーにとってもそうですが、何が「正しい」かより、どんな表現が「自然」かに重きを置くべきこともあるのです。
中には文法の学習に集中して、この場面ではこの表現、この場合にはこの文法、と規則を覚えるのにばかり一生懸命な人もいます。しかしそうしたこだわりが人を迷わせ、どんなものが普通に受け入れられるのだと疑念の元になってしまうことがあります。行き過ぎれば、おそらく人々の会話の一つひとつに「正しくない」点を見つけることだってできるはずです。でも、そんなことができたって何だと言うのでしょう?
言葉はコミュニケーションの道具です。数学の方程式とは違います。人々がどのように会話をしているかにもっと注目しましょう。どんな風に自分の思いを伝えて、情報を交換しているのか。
現在のところ、"octopuses"が主流です。ですが"octopi"派の人を不躾に否定はしないで下さいね。